2026/09/01 11:55
人間はなぜこれほどまでに熱心に土を耕し、自然のなかに自分たちの居場所を作ろうとしてきたのでしょうか。
農業の思想的原点を探っていくと、世界には大きく分けて2つの「自然と人間との付き合い方」があることに気づかされます。
一つは、近代科学や農業テクノロジーのベースとなった、西欧的な「良き執事(マネージャー)」としてのアプローチです。
聖書には、人間は「地を従わせ、すべての生き物を支配する」役割を与えられた、という記述があります。
これは決して「自然を好き勝手に荒らしていい」という意味ではありません。
神様から大切な美しい庭園を託された執事として、「地球という環境に責任を持ち、知恵を尽くして最高のお手入れをしなさい」という委託命令でした。
合理的に自然を管理することで荒れ地を豊かな農地へと変え、人類の飢餓を克服してきた力強い農業テクノロジーは、この「責任を持って自然を統治する」という強い意志から生まれてきたものです。
一方で、私たち日本人のDNAには、西欧的な思想とはまったく異なる、もう一つのアプローチが深く刻まれています。
それは、自然を「管理する対象」として外側から見るのではなく、人間もまた「自然の一部(内側)」として溶け込んでいく、融和の感覚です。
日本古来の信仰において、田畑や山林、雨や風にはすべて「八百万(やおよろず)の神々」が宿るとされてきました。
農作業とは、人間が自然を一方的に支配する行為ではなく、神聖な自然の営みに「そっと手を添えて参画させてもらう」神事のようなものでした。
だからこそ日本の農民は、豊作の秋には単に自分の技術を誇るのではなく、「お天道様(おてんとうさま)のおかげ」だと、目に見えない大きな存在へ心からの感謝を捧げてきたのです。
現代の私たちは、気候変動や環境問題という大きな転換期を迎え、この「西欧的な管理の知恵(テック)」と「日本的な融和の心(畏怖)」のどちらか一方だけでは立ち行かないことに気づき始めています。
これからの農業に求められるのは、その2つのアプローチが絶妙なバランスで交差するスタンスです。
最先端の技術を使って作物のSOSを科学的に素早くキャッチしながらも、決して傲慢にならず、自然の持つ大いなる循環のパワーに敬意を払い、そのポテンシャルをそっと引き出す「賢明な仲介役」になること。
効率を求める知恵と、いのちを敬う祈り。
その両方から生み出された作物をお届けすることを通じて、みなさんの健やかな毎日の暮らしを支え、この美しい地球の未来をつないでいきたいと、私たちは願っています。
